今、どげんなっとっと?
2024/8/26
宮原坑・三池港
父の仕事が炭鉱関係だったので私は三才から十七歳まで臼井社宅に住んでいた。一番上の方にある一棟と言う社宅の入口のような我が家の目の前には、これまた三井関係のアパートが何棟か建っていた。すぐ近くにある橋(通称くろ橋)からは下を通る炭鉱電車も見えた。何もする事がない時はくろ橋から炭鉱電車に手を振ったりしていたもんだ。運転手のおっちゃんは時々気付いて手を振り返してくれていた。そして、すぐ側には少しいかつい感じで「宮原坑」がドシン!と構えているそんな中で育った。
私のテリトリーの一部でもあった宮原坑が世界遺産として登録された。平成二七年七月のことである。結婚して引っ越していた私は「何ぞや!」と思い、外出ついでに宮原坑の近くを通ってみたら驚いた。取り崩されたアパートの跡地が美しく整備され駐車場になっており、くろ橋を渡った向こう側にある宮原坑は緑の芝生が敷きつめられ、ゆったりと見学出来るようになっていた。幼い頃に見ていた当たり前の光景が「世界遺産」になった。大牟田がロケ地になった「向田理髪店」の撮影も行われたので、その時の写真も案内所に飾ってある。思い出が大切な「物」に変わった。
そして宮原坑と同時に世界遺産に登録されたのが三池港だ。正確に言えば「三池港閘門」等。
潮の干満の差が激しい有明海は大型船が着岸するのが難しかった為に水位を調整する「閘門」が必要となり、明治三八年にパナマ運河と同じ方式を用いて三年がかりで造られたそうだ。当時、その工事の指導者を執ったのが三池鉱事務所長であった團琢磨氏である。
はて、どこかで聞いたこと見たことある名前だと考えていたら、なんと新大牟田駅前にドカンと建っている銅像の人ではないか‼と判明し少々ビックリした。
そして宮原坑と同時に世界遺産に登録されたのが三池港だ。正確に言えば「三池港閘門」等。
潮の干満の差が激しい有明海は大型船が着岸するのが難しかった為に水位を調整する「閘門」が必要となり、明治三八年にパナマ運河と同じ方式を用いて三年がかりで造られたそうだ。当時、その工事の指導者を執ったのが三池鉱事務所長であった團琢磨氏である。
はて、どこかで聞いたこと見たことある名前だと考えていたら、なんと新大牟田駅前にドカンと建っている銅像の人ではないか‼と判明し少々ビックリした。
三池港でもうひとつ有名なのが「光の航路」である。一月と十一月だけ、それも一週間ほどの期間にしか見られない。港の長い航路先端から閘門の中心を通って夕日がまっすぐに伸びる奇跡の絶景の撮影スポットとして人気であるしローカルTV局もよく取材に来ている。デートスポットとしても有名である。」
大牟田には他にも歴史的に貴重な素晴らしい近代化の遺産も数多くあるので大切にしなければならないし、また沢山の方々にも見て頂きたいと思う。
年々減少するだけの人口を憂うだけでなく魅力と活気のある大牟田を今一度と願わずにはいられない。
(松尾美代子29回卒)
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